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2020年4月

雑文

新型コロナウィルスの影響で自宅で過ごす時間が多い、というより一歩も外に出ない日がほとんど。こんな日々、時間を誰が想像したろう。

昔、誰かの漫画か映画で似たような話があったように思うが、本当にこんな状況がやって来てしまった。人と人との接触はPCやスマホの画面を通してになっているし、ほんの数ヶ月前まで当たり前だったことが今は出来ないという事実。

閉塞感の素はいつまで続くんだろう、という不安。老いた親を介護するのと同じように、自由を奪われるような感覚。

経済活動云々、補償問題云々、難しい事だけれど最低限暮らして行くための手段は確保しなければならない。ある日突然その術を奪われたら、助けを求めるのは至極当然の話。言わないと何もしてくれない!と言われる側に問題があるのも事実。

精神を病んでいた頃、医者からとにかく何もするな、と言われた。何もしない事がこんなに辛いと思わなかったし、実際何もしないというのは生きることを中断するという作業だった。『やすむ』という行為を人間は出来ない、何かをしていないと不安でしょうがない、『暇』は堕落みたいな勘違い。

職場というある程度安全な場所に毎日通って、人間関係なんかを我慢すればとりあえず生きて行けるという変な安心感。そこからの離脱は、不安感を抱える事の始まりだったし、別な意味では自由に生きる事の始まりでもあった。

何が普通で、何が正常で、考えてみれば思っている事なんて所詮他人には理解されないし、本当のところ正解なんて分からないと思う。

今、このウィルス問題は人類がやって来た事に対するアンチテーゼを突きつけられている、みたいに言う人もいる。そんなに大袈裟じゃなくても、人が動かなくなれば、今までと違う考え方で乗り切ろうとする人もいるし、環境破壊はほんの一時治まったりしているらしい。

そう、何が正解かなんてわからないんだ、結局。今自分に出来る事を、ちゃんとやり切る事が唯一正しい事。与えられた事でもいいし、自分で生み出す事でもいい。

今は誰かの行動や意見を簡単に批判できる時代。ネットのコメントは過剰なくらい。その思惑や意見、思想や哲学はそれぞれなので千差万別。それでいいと思う。

さて、こんな時どうしたらいんだろう。非日常の時間をどう使うか、だろうか。自分を見つめる人、出来得る限り今までの日常に近づけて工夫して頑張ってる人、その人なりに今出来る事をやればいいのか。とりあえず感染リスクを避けよう、という呼びかけが続く以上、それだけは最低限守るようにしたいね。自分と大切な人を守るため、というフレーズは絶対に間違ってないと思う。

とりとめもなく、雑文を書いてみる。時間があるので出来た事♬

 

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