日頃Facebookの更新はほぼ他力本願でやっているのだが、ブログは放置されたままで雑草が蔓延ってる感じ。とりあえず昨年のことを少々・・
2017年は、参加させていただいている各ユニットでそれなりに演奏活動があり、そのリハやら本番が結構あってかなりのウェート感があった。ソロの方は野幌ターンアラウンドで「やぎさんの気まぐれライブ」と銘打ち日曜ごとに演奏する機会を作ってもらったが、文字通り気まぐれだからやったりやらなかったり(笑)やらないで飲んでいる方が多かったかもしれない。2013年の11月から始めたレッスンはお陰様で4年が過ぎ、生徒さんも少しずつ増えている。インターネットテレビ番組も継続出来ているし、その内容はともかく音楽をする環境としてはとても恵まれていると思う。2011年10月13日から始めた手書きの日記は今だに継続中、ブログになにか文章を書かなきゃ、という強迫観念があまりないのは毎日少しずつでも文章を書いているせいかもしれない。
「おじさんバンド」とか「おやじバンド」と世間で言われる活動に、よもや自分が参加するとは思ってもいなかった。少なくとも性格上人と交わることをあまり好まず、友人関係を構築出来たとしても、知らずに解消したりされたりする、結構面倒な人らしい自分。酒を飲めば暴言も吐くし、多少なりとも音楽を長くやっているので上から目線の態度も示す。そんな人間が趣味の延長みたいな場所で演奏できるのか?自分では結構いい人だと思っていたが、実はそうでもないらしい、という自覚もした。少なからず人間社会で生きている以上、人を蹴落としたり、蹴落とされたり弱肉強食は仕方のないこと、と納得し日々を過ごすしかないと思って来たし、今でもその考えは変わらずに持っている。自分の意見や思いを伝えようとすると、ついつい強引になってしまう、重々承知。それが良くないこともまた承知。変な意地やプライド、そんなの必要ないのに、その時その瞬間、自己保身の為にメンツをかけて、みたいな言動をしてしまいがち。
幸いバンドメンバーは皆さん年上なので、そんな自分を許してくれている、いや諦めて放置しているのかもしれないけどとりあえず、感謝。音楽経験の度合いで、そこに位置関係が出来てしまうのはプロ・アマを問わずバンドの必然なのかもしれない。でも絶対にそんな立場に甘えて活動を続けるのは良くない、そんな事に気付かされた2017年でもあった。
思いつく限りでも、PPMのカバー中心の江別フォークジャンブルでは”栗沢町市民センターサヨナラコンサート”、大麻えぽあホールでの”ザ・青春フォーク”、ザ・ステラというライブハウスを3年かけて手作りした清水さんと演っているステラバンドでは、昭和歌謡やオールディズ、フォーク系の内容を中心に町内会の夏祭りや”野幌元気祭”というイベント、ライブハウス「ザ・ステラ」での季節ごとのライブなどかなり多くの演奏機会があった。また、ハーモニカとボーカル&コーラスを担当しているオノカジブルースバンドというブルース系バンドは、ターンアラウンドで半レギュラー的に演奏している。
出来れば、これらの活動を継続して行きたいと思う。常に周りから望まれるような自分でありたい、そう思う今日この頃である。
ソロの演奏は楽しくもあり、気まぐれライブは日曜の夜なので集客に苦労する場合が多く、店主のyosshyには申し訳ない気持ちで一杯である。思えばライブ活動を始めた20代前半から集客は苦手で、お客さんのいない客席に向かって歌うことも珍しくなかった。やっぱり性格的に問題があるんだろうな、とこれまた物事は全てそこに結びついていく。でも、ま、今までのことは仕方ないと諦め、駄目な部分をこの先少しづつ改善していくしかないんだろうな、と自分を慰めて、今日もギターを背負ってターンアラウンドに向かおうとしている。
ソロでは他に大学の先生からお願いされた学園祭での演奏、介護資格取得の際にお世話になった方からお願いされた老人施設での演奏、従姉妹の繋がりで行った南幌のデイサービス、バンドメンバーとのユニットで行った施設や厚別区のイベント等々こちらも数多くの機会を与えていただいた。
レッスンはいろんな意味で勉強になる。うちの教室生徒さんの年上率が高く、人生の先輩方にお教えする場合が多い。全く違う人生経験をして来た方々に、それぞれの目標を設定し、それぞれご自分に納得して楽器を続けて行くモチベーションを持ってもらうことが重要。個人個人の悩みや日常生活もその世代の楽器演奏力と関わりが深かったりする。ギターとハーモニカに加え2018年からはウクレレもカテゴリーに加えた。コミュニケーションと辛抱強く繰り返し伝えることをモットーに、こちらも出来得る限り継続して行きたいと思う。
インターネットテレビは「のっぽろ七丁目放送局」で「のっぽろミュージックストリート」という番組が37回目の放送回を迎えた。月一回の放送なので3年経過したということになるが、一回も休まず付き合ってくれているyosshyには感謝の気持ちしかない。情報発信の場として続けることがひとつの使命なのかな、と思う。こういう場所を与えてもらえることに感謝して、枠にとらわれず楽しい番組作りを心がけたいと思う。
自主制作CDアルバム「レンガ色の町」を発表して10年経った。中学の同級生に嗾けられて作ったようなものだが、作品として残せたことが何より有難いと今になって思う。当時は周りから「どうしてアマチュアとしてここまでやるの?」という声もあったし、実際言い争いもした。作りたてのスタジオで小竹プロデューサーの営業に繋がればいいや、という気持ちもあったし、どっかでレコードデビュー出来なかった自分の負い目の清算みたいな分もあった気がする。
その後の10年何をやって来たかはともかく、今は七丁目放送局で「10周年記念番組」を作ろう!という話があり、小竹さんとプランを練っているところ。まずはそこからかな。
昨年暮れ、40年ぶりに大学のサークルでグループを組んでいた連中と飲む機会に恵まれた。変わってしまった風貌と、全く変わらない語り口(笑)時間はすぐに40年前に遡る。諸事情があって中途半端になっていたグループ、でもやっている音楽は大好きだったし、今現在自分がやりたいと思う音楽に通じている。自分のルーツと言っても過言でないと思っている。また演りたいね、という言葉が誰ともなく自然と溢れていた。また演りたいね、じゃ終わらせないよう今年はそのユニットも復活させたいと思う。ライブやろうね、絶対!
そんな2017年も終わり、2018年戌年還暦60歳。まだ何もやり遂げていない事実が、明日も何かをやり続ける為の理由なんだと改めて思う。